日本における「戦争はやめよう」論

夏の風物詩

毎年八月になると、太平洋戦争の反省や総括について言及する記事が増えます。
「夏は海とスイカと靖国参拝」というくらいの恒例行事かもしれません。
もっとも、中国や韓国は年がら年中ネガティブキャンペーン張ってるので、彼らからしたら、太平洋戦争ネタは恒例行事というより日常なのかもしれませんが。

So What?という違和感

もちろん、あの戦争で被災した方々のご苦労は並々ならぬものがあっただろうし、この手の理不尽さが許されていいはずがない、というのは議論の余地がないわけですが、世論を見ていて気になることが。
それは、今朝の新聞にも掲載されている「二度とあのような経験は繰り返さない」「戦争はやめよう」的な論調が、一体誰のためのものなのかという点。
戦争がダメなことは、人を殺してはいけない、モノを盗むのは良くない、レベルの、いわば当たり前の主張であって、なんでいまさらそれをわざわざ主張するの?という感覚。
いまの世の中は殺人が日常茶飯事なんですかね?
むしろ日本はいまだに世界の中で圧倒的な安全を確立している稀有な国なわけで、隣国みたいにミサイル打ち上げたりしてるわけでもなく、東南アジアまで海域全部自分のものですとワガママ言ってるわけでもなく、周辺国の主権を認めず迫害してるわけでもなく、めちゃくちゃおとなしいと思うのはわたしだけでしょうか?
そんな日本及び日本人として、自戒の意味を込めて毎年あの戦争を振り返るのはわるくないんですけど、どうも自衛隊の件や九条の件など、「直接関係ない」ことまで自縛してませんかね?

自国に鍵をつけられない、自国の害虫駆除すら許されない日本という国

隣国が散々軍備を増強していて、挑発的な態度を強めている中で、今の日本に何ができるかというと、「あとでアメリカに助けてもらう」しかオプションが無い気がしてなりません。
この「あとで」という後手番が厄介で、特に近年の戦争はハイテク化が進み、先手が圧倒的に有利なんですよね。
今はゲーム理論的にも利得がマイナスになるのが明白だから隣国もヘタな手出しはしませんが、仮に攻められたとき、後手番しか選べない日本は、勝ち負けの前にほぼ必ず損失を出すことが確定してます。
損失とは人が少なからず死ぬだろうということです。
住宅地にミサイルが飛んでくるかもしれないし、自衛隊にいたっては反撃しか許されておらず、その反撃すら上司の許可がいるというすごいルールになってるみたいです。
先手必勝の戦争で、果たして反撃は可能なんですかね?
国自体が急に消滅するのは考えにくいので、国対国レベルの反撃はあるんでしょうけど、局地戦に限って言えば最初に攻撃された部隊は、死んでくれ、と言っているのに等しい状態。
これは一般人にも当てはまるので、「最初に攻撃された都市に住んでる国民は死ぬかもしれないけど、ゴメンね!」
ていう話を政府は説明すべきだし、現状反対を唱えている野党や有識者はそれをしっかり伝えるべきかなーと思います。

そもそも軍隊にしたところで日本はまたあのような侵略を再開するのか

日本は中国にGDPで抜かれたとはいえ、いまだに世界三位の経済大国です。
昔も今もたいていの戦争の目的はそこにある資源の奪取なわけですが、これだけ経済が発展し、むしろ得意領域である経済という武器を捨てて、あえて力ずくで近隣を侵略する…って、ちょっと考えるだけで非現実的だよなーとなるわけです。
侵略したとして、それが成功したとして、そのあとどうすんの?と。
そんな面倒臭いことやってる暇があったら別の課題に取り組むべき。

と考えると、日本が軍隊を持ちたがっているのは、刃物をもった隣人がうろちょろしてる中で、せめて家に鍵をつけようとか、防虫剤を散布して害虫が家庭菜園を荒らさないようにする、ていういわゆる自衛の手段としての軍隊なわけで。

てな議論をもっとオープンにしていったらいいのにと思います。
Chikirinさんの著書にもありますが、思考停止しないで、自分の頭で考えるのは大事ですなー。
戦争はアクだ論が全ての上位規程のように君臨していて、戦争を想起させる言動は問答無用で全てアクになる。
議論すら許されない。これってなかなか怖いことです。
議論できないから先送りしかできなくて、この手の問題はずっと停滞したままなんですな。









街頭演説は誰のため?

こんにちは。

参院選は自民のまさに圧勝でした。

選挙公示期間中は、駅前で候補者がマイク片手に演説合戦を繰り広げてまして、私の地元駅も連日大盛況でした。


毎朝通勤時に彼らを目にするわけですが、いろいろ不思議に思ったので備忘に残します。


# そもそも誰のため?

毎朝マイクで熱弁を振るう候補者さん。私は通勤で駅に向かう途中、どこかの党の候補者さんと遭遇するわけですが、

「…ぃみなさん!TPPというものはですね、そもそもぁ…」

てな感じで、

何を言ってるのかさっぱり理解できません。


あれって、アベさんだったり橋下さんなど、知名度の高い幹部さんが駅前で我々に向けて演説をするスタイルなんですよね。

要するに聴衆がいる。


片や地元駅。


候補者をよく知る人はほとんどおらず、みなさん目的地へ急いでる最中。

なにせ朝の通勤通学時間帯ですからね。


つまり、あの演説はひとりよがりなんですよね。

通勤するサラリーマンをターゲットにするなら、せいぜい30秒で伝わるメッセージにすべき。


自らの名前と強く訴えたい主義主張。

これで充分。


同じ発言を繰り返すのは恥ずかしい?

いやいや、あなたの演説は誰のためにやってるのかい?

そこにいない聴衆のため?

まさか自分のため?


# 急に応援しろと言われても…

知らない人から突然応援を求められても、誰?て思いませんか?


人間関係のトラブルの多くはお互いの理解不足にあると誰かが言ってましたが、確かに身近なトラブルはお互いに話し合うとびっくりするくらい解消したりします。


普段から我々に情報発信してる議員さんはどれくらいいるのかなー…?


情報を取りにいかない僕らが悪いって?

まあ、受け手にも責任の一端はあるのかもしれないけど、

選挙を候補者のプロモーションマーケティングとして捉えると、いまは買い手、つまり僕らの側のリテラシーがまだまだ不足しているわけで、そういう低リテラシー層に向けたプロモーションをしたらよいのにと。


いまは知らない人ばかりの中で選択を強いられてる状態が続いてるわけで、よく知らない商品ばかりだけどこの中からひとつ選べ!と言われても、

「いや、よく知らないし、別にいらないし」

ていうのが若年層の主張だとすると、

まずはよく知ってもらうところから始めて関心をもってもらうのがスジだと思いますけどね。


とはいえ若年層の投票率をあげたくないレガシー政党は、本腰いれるわけもないか。。


第三極目線だと、まず彼らが取り組むべきは、自らの支持基盤になりうる若年層の政治参加を促すマーケティングだと思う。