「頑張らないとダメですか?」という若手が見据える未来

社内面談時の出来事

 
いま私がいる会社は、おそらくは他の多くの会社同様に、管理職がスタッフと面談する機会が年二回設けられています。
目的は、不満のガス抜き、意見の吸い上げ、退職意向の早期把握とリテンション、などいろいろあるわけですが、
いまの会社は三番目に重きが置かれてたりします。
それはさておき、先日とある若手が新しく管理職になったので、社内面談する側のトレーニングとして私が若手管理職のサポート役でオブザーバー参加したときのお話です。
 
いまの会社は一応コンサルやってたりするわけですが、面談される側の若手は比較的ゆるやかな日々を過ごしている様子で、特に大きな不満もなさそうでした。ただ、彼が話をしていた中で「中長期的なプランは特になにもないです」という発言が気になり、面談後に若手が退室した後で、新マネージャーへ雑談としてふってみたんです。
 
 
頑張らないとしたときに、彼らが未来に見ているもの
 
 
「今の当社が抱える課題の1つに若手の能力底上げがあるんだよねー…云々」
 
新マネージャー
「でも、頑張らなきゃいけないんですかね?彼はあのままでもよいと思いますよ」
 
ふむ、そうかー、と、そこで私は逢えて反論しませんでした。
理由は、「プロトコル」が違うと思ったから。
 
プロトコルとは、コンピュータ同士が通信するときのルールみたいなものでITに関わる仕事をしていれば何度か耳にすることがある単語ですが、プロトコルが違うと通信自体ができなくなってしまうわけで、前述の彼と私が見ている世界はそれくらい違ったのではないかと。
 
勿論、頑張る頑張らないの選択は個々人に委ねられていて誰かがどちらかを強要する権利は無いわけですが…まがりなりにもコンサル業界に身を置いているという選択と、頑張らないという選択が、不整合を起こしていると思うのは私だけでしょうか…
 
頑張らない の定義や中身によりますが、言葉を変えるとおそらく「馬なりで仕事します」宣言に近しく、馬なりでずっと仕事を続けた先に待っているのは、一体何なんでしょうね…
より深刻さを感じてしまうのは、頑張らない宣言をしたカレは、道の先を全く見据えておらず、馬なりでずっと仕事を続けた先は当然ながら見据えられていないであろうこと。
 
少子高齢化社会、人口減少社会を前に、生産人口と呼ばれる私たちが日々を幸せに生きるためのハードルは年々高くなるであろうときに、日本が抱えている諸問題の根幹には、おそらく若年層のマインドセットが横たわっています。
これを変えないと、政府がいくら策を講じても焼け石に…