ブラックに関する思い違い

 

夏らしい夏が、夏の終わりに訪れた昨今、

いかがお過ごしでしょうか。

 

 

働き方改革に代表される、日本における長時間労働是正の動きは、政府も企業も取り組み姿勢を強めています。

 

ところで最近わたしは、関西の大学で大学生高校生向けに講座をもっている関係で関西に出かけることが増えていて、大学の教員の方と話す機会があるのてすが、そこで漠然と感じたこと。

 

大学教員や大学生は昼夜を問わずレポートや研究に明け暮れている人が、特に理工系やMBAを中心に少なくないけれど、大学やゼミがブラックと糾弾されることはまずないなあ、と。

 

同様に、

自営業やベンチャー界隈の人々は、ブラック問題では存在自体が認識されていないみたいだなあ、と。

 

そこで、改めてブラック企業問題を定義してみると、

「労使関係を契約締結している」従業員と雇用主の間において、

雇用主が「不当に」長時間勤務を「強いる」ことにより、従業員の心身の健康が害されること

かな。

 

上記は監督官庁が企業や団体を取り締まる際の基準になっているわけですが、

 

上記に当てはまらない長時間作業者(大学関係、自営業やベンチャー界隈)は、環境だけみると摘発事案と大差ないのだけれど、放置されている

点と、

たとえ不当に長時間勤務を強いていなくても、摘発されるべき歪んだ労使関係は、あまたありそうだけど、放置されている

点は、

文字通り放置プレイ。

 

成敗するべきは、歪んだ労使関係なはずが、いつの間にか「長時間勤務が悪」にすり替わり、

その結果「勤務時間を短くすれば問題解決」みたいな論調が幅を利かせている状況は微妙…

 

長時間勤務にしても、必要な長時間勤務と不必要な長時間勤務が本来あるはずですが。

 

こういう初歩的なミスリードが幅を利かせている限り、エセコンサルのニーズはいつまでもなくならないだろうなあ…